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黄緑日記

世間知らずな就活生の 頭の中 と その後

2. 臨戦態勢

味わったことある。で、これが実は真実に近い事実なのかもしれなくて。


幼稚園〜小学生のとき、音楽教室の発表会のとき。収容人数2000人以上のホールでやる発表会は、人生の中でもビッグイベントだった。小さいときの経験だけど、小さいときにそれだけの規模を経験したからこそ、やっぱり今でもビッグだ。

そのときから、責任感というか、プロ意識というのか、バカ真面目というべきか。自分のミスで合奏を台無しにしてはいけないみたいな意識があった気がする。
とにかく文字通り大舞台で、練習をさぼりがちな私でも 本番はめっちゃ気合が入っていたのだ。

ロビーの絨毯から香る、業務用洗剤みたいな匂い(ちょっとピンクがかった乳白色の小さいパールが、一列に並んでsin波を描いている感じの匂い)を嗅ぎながら、足元ふわふわした感覚に戸惑っていた。
ガラスのドア越しに、お母さんに "夢の中みたい、変な感じがする!"と訴えたかったけどうまく伝わらなかった、みたいなワンシーンを第三者目線のシーン記憶で覚えてる。

ここらへんの記憶は、他にも 自分を含めたワンシーン<第三者目線>がいくつかあることに気がついた。が、それはまた心が元気なときに興味深い記憶体系として観察してみるとして、
早い話が 「自分はアタマおかしくなったんじゃないか」と自覚してたのだ、7,8歳当時に。

でもそれは一時的ものだったし、度々おとずれては去って行く感覚だった。これが「緊張するってことなんだな」という認識だったと思う。

わたし、 本番が好き なのは、ほんとだけど、緊張するのが好き、は正確にはほんととは限らないのかも?
緊張の後に訪れる 本番の嬉しさや、本番後の達成感が好きだから、緊張自体も好きだと思い込んでるのかな?

うーん、いやでも、ドゥンドゥンいってるのを自覚するの、ちょっと楽しいし。生きてる感じするし。周りの子が緊張しているのを見て、自分は平気って思うのも楽しいし。

ああ、けど、やっぱり この非現実感と緊張の心地よさ?中毒性? とは別なものの気がするよ。

なにがちがうのか。

謎な罪悪感を伴っていないところか?
生きてるなぁ 
なのか
生きてるのかなぁ 生きてしまっているよごめんなさい
なのか。

そこが大きな違いかもしれない。


で、真実に近いかも、と言ったのは、要するに、
いま私は長期的にめちゃくちゃ緊張している状態なのではないか、ということ。
ずっと臨戦態勢120%でいるので疲れ切ってしまったのではないかということ。

人と会っていてリラックスしている時は生きている感じがする、ということともつじつまが合う。で、真実に近いかも、と言ったのは、要するに、
いま私は長期的にめちゃくちゃ緊張している状態なのではないか、ということ。
ずっと臨戦態勢120%でいるので疲れ切ってしまったのではないかということ。

人と会っていてリラックスしている時は生きている感じがする、ということともつじつまが合う。