黄緑日記

世間知らずな就活生の 頭の中 と その後

上から目線

よいしょ

ちょっと思考?感覚?にブレイクスルーがあった気がするから、たぶんあったから、手書きのノートの方に残しておきたい。部屋の片付けしたら、書こう。

めっちゃ単純に言うと、 余裕を履き違えていたのでは という内容。よくある話。
毎回 あのとき、もっと頑張れたはずだと思うのが人間の性だと思うけれど、なんかいつもとはちょっと違う方向で、頑張ってなかったなぁと感じてる。
「もっと頑張れたはず、と思うのは人間のサガだから、しょうがないよね。広い視野で振り返れば、よくやった方だよ。」とか自分を労ってあげる資格もない。
そんな行動をとった理由は、突き詰めていくと、「やる気にならなかったから」これだけの気がするんだよなぁ。だから尚更いつも通りで、尚更タチが悪い。やる気に関して責任を放棄しているのが自分の基本思想だから。

この前、就活をしながら 一度ドカンと落ち込んだときに、「楽天家な自分を認める」っていう対処をして なんとか乗り切った(と思うことにしていること)けれど、そのときに「本気でやったらあとは楽天家」みたいな、そういうアイデンティティ的なところを置き忘れて楽天家気質を再インストールしちゃったんじゃないかな。

要領悪いけどバカ真面目にやる自分の"いい奴っぽさ"とか、"憐れさ"とかに、自分を愛していい理由を求めてたから、そこが欠けてたと気づいたいた自分に失望するのは自然なことなのだと思う。
こうして見ると、つくづく上から目線な小娘だなぁ。こういう生意気なところも、もしかしたら、自分を愛せる理由になっているのかもしれない。
ヒント: 愚かな者を憐れんで愛でる傾向

ここまでずっと考えていて思うのは、私は、"実はストイックな私" を良く評価したがっているんじゃないかということ。
しかもそこを自分のイイところだと思っているとしたら、なんというか、わりとダサい? ( まあ自分がダサくないなんて、そんなこと、ほんのちょっとしか期待してないけど。なんだよこれツンデレかよ。)

今まで通り、愚直な私 を愛することを許し、愚直に努力することを美徳とし、行動に反映させるなら、これはこれで健全だと思う。
でももしかしたら、変わるチャンスなのかもしれない。
表面上は変わらないかもしれないし、あるいは考え方を根底から変えるくらいの荒療治かもしれないけれど、チャンスではある気がする。

でも、"なんだかんだ変わらないよね、でも上手く、それなりに整った軸で生きているよね" みたいな、自分に甘い評価を下したがっている自分の存在も、薄っすらと、でも確実にいるのだと感じる。

うーーん。悩ましい。
で、悩んでいると、悩むという行為自体に楽しさを感じて、悩んでいたテーマのことを忘れてしまう。 
悩み事が解決しなくて不快だ、ではなく「悩ましい」とかいう雰囲気イイ言葉が、勝手に出てくるあたり、趣味としての考え事にハマっているという証拠が滲み出てきている。

今までにも、この過程をもってして「悩みがスッキリした」と勘違いした経験は多々あるだろうし、私以外の人でもそういうことは あるのかもしれない。
いや、むしろそれも正常な解決のルート・手法のひとつなの...?


結局、紙のノートに書くようなことのうち 幾分かはこっちに書いてしまった。
行動を変えるのは、確定事項。
考え方を変えて行動するのも、確定事項。
考え方を根底から変えるのかどうかは、検討中。(上の二つをやっているうちに、勝手に変わったら、後々、それらしい変化・成長として評価できる気がして、ラクそうだなぁと思っている。やっぱり流されたい奴なのか、私は。で、この愚かさを以下略...)