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黄緑日記

世間知らずな就活生の 頭の中 と その後

母と話して

彼女は何かにつけて、"やれるだけやっとくべき 後悔したくないじゃん" っていう考え方を持ち出す。小さい頃は、これが真理!と思っていたのかどうかはわからないけど私もこの考え方を身につけて使っていたと思う。
この考え方は数ある考え方の一つでしかないのだ ということに思いあたってからは、母さんならこう言うよな という気持ちでこの考え方を使うようになってきている気がする。

母の考え方でちょっと面白いと思う点がある。"後悔したくないじゃん" というのは「後悔しないということを欲する」といよりかは「後悔する人が生まれるのって不幸じゃないかしら」というようなニュアンスであるように思われるのだ。
父、彼女の夫だが、彼のことを「人がいい」「騙すより騙される方がイイと思っているようなところがある」とか評価しているらしい母こそが、そういう性格なのではないか。そしてそういう両親を持った私はバッチリその性格を引き継いでるのではないか。(受け継いでるわけではないと思う。のっとでぃーえぬえー。)

そう考えると 小さなことで喜びを感じる自分のことも、滑稽ながらかわいいというふうに思える...気もする。
でも広い世界と色々な人々(と言ってもごくごく一部なのだろうけれど、)を両親が見せてくれたからには、もっと遠い所を深い次元を目指した方がいいんじゃないか、目指すべきなんじゃないかと思えて。
でもそんなことを子の分際で考えるのは生意気というもので、私自身が望むならば、居心地のいい範囲でのんびり生きてもよいし、広い世界へ修行の旅に出てもよい、私自身が幸せになることが親孝行なのだ とも思えて。
きっと親は後者のように意見して私を応援してくれるだろうし、それが親の本心なのだと思う。なにせこんなにお人好しな夫婦だもの。
けど この考えって、結局じぶんを甘やかしたい私が、選択を放棄したい私が、そうすることの最強の口実「親の許し」を得たいだけなんじゃないかって。思って。

ここら辺まではよく考えることなんだけど、いま書きながら考えていたら新しい気持ちを発見した。
そんな風に子を思う親の気持ちを知ってみたいかも、て思っている、かもしれない。親になってみたい、て思っている、かもしれない。
ヒトの親になれるほど徳を積んでないよ私、人生の責任取れないよ私、っていつも思っている。だから親になるのなんて嫌だというところに落ち着くことが多いんだけれど。珍しいなあ。
小さい喜びに浸る生き方でも、親になるための経験と思って過ごしたら、価値あるものになるかも、というか価値あるものに思えるのかも、しれない。
そこに意義を見出して 自分のために 子を育ててみたい と思っているとしたら すごく怖いけど。

もうなんか 珍しいなあっていことに気取られてて、何考えてたかわかんなくなってきちゃった。わりと素直に、母さんありがとうと思っていることに気がついたので、もうそれだけでいっか。(これってもしかして既に 小さな幸せに以下略な思考なのか?)