黄緑日記

世間知らずな就活生の 頭の中 と その後

思いの外

動揺してるんです??

 

っていうことに気がついたら少し冷静になってきた

 

この動揺を受けて気づいたのは

・「みんなが自分の個性を受け入れられていると感じられる世界がいい。その実現に貢献したい。」ていう想いはけっこうガチなんだということ

 

・「まぁ人生○○がイマイチでも△△があるし、いっかー」と思えるのって大切だなということ

 

 

 

往々にしてら自分から欲しいものを手放す・突き放すことがある。本当に欲しくないから手放すのではなく、自分の力が至らず強制的に手放すこととなるのが嫌だから挑戦から逃げているのだ、ということには、ここ一年くらいで気がついたけれど。

すぐに全く逃げなくなるっていうのは、なかなか難しいみたい。

 

悔しいけど、むしろ逃げてしまったあとの対処を確立させる機会かもしれない。

うまくいけば、次からは「いざとなったら逃げてから立ち直ればいいし」っていう心持ちで挑戦できるかもしれない。

 

むかつく。

逃げたってことは本心では望んでなかったんだよ!とか、第六感が危険を察知したから逃げたんだよ!とか、開き直れないあたり、チキンである。

 

いや、でも実際、そういう可能性はあるわけで。大抵、何かを捨てたあとには他のものを拾うけど、捨てたものと拾ったもの、どちらがアタリかは一生謎のままだもんね。

拾った方でベストを尽くせるかどうか?幸せかどうか?が問題なわけで、そこは何を選んだにしても、選んだ時点で幸せの確率とかはリセットされちゃうのだ。

 

驚くべきことに、意図的に能動的に拾うものを選んで、リセットすることもできるらしい。

いっつも、消去法で選んで、選んだ理由とかが説明できて、誰かに(母に?)納得してもらえることが必須だった。

 

そういう経緯で選んだなら、選ぶことにはベストを尽くしたから、仕方ないね。それしか選べなかったもんね。

 

上手くいかなくなった時に、そう言って納得できるように。

いや、そう言ってもらえて納得してもらえて、慰めてもらえるように。

変な予防線張って生きてきた。

( 人を試すのも似たような理屈なんだろう。相手が試験に耐えられなかったから離れるしかない、関係を切るのは妥当だ、って自分に言い訳して正当化したいのでは?うーん、でも試しちゃう気持ちはただただ受け入れて欲しいの方が大きいのかな )

 

どうせ死んじゃうのにね。だから短期的に無計画に生きていいというわけでもないけど。

やりたいことやって上手くいっても、いかなくても、どうせいつかは死ぬんだし、的な。

本心ではそう思ってそう、わたし。

やってみりゃいいのに。

 

配偶者とかいると、また違うんだろうけど。今いないし。

 

やってみたいことを選んで、ほかは選ばないっていうのを、やってみてもいいと思う。全ての選択肢を検討するなんて、RPGじゃないんだし、できるわけない。村人Aは、わたしが村人Bと話してる間にどっかに歩いてっちゃう。Aと一緒にいたいと思ったらZまで全員と話してる暇ないし。

もしかしてYと一緒にいたらもっと楽しいのかもしれないけど、なんかもうそれは自分次第というか。

拾った時点でリセットされる。て私は思ってる。思ってみる。思ってみようとしてる。(捨てる拾うに繋がったよ?うん?)

 

 

つまるところ、

言い訳にエネルギーを注ぎすぎるな

現状をハッピーにしていくことに全力を注げ

選択肢による差異は、自身の認識や行動に凌駕される

やり直せる

やれ

 

はい。